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家族葬が人気を集める背景

家族葬が人気を集める背景には、高齢化、親類縁者という血縁関係の弱まり、地域社会の崩壊、リストラ等による企業社会の弱体化、さらに家族そのものの分散・解体がある。また、伝統的な宗教観の衰退もある。戦後半世紀以上を経過し、社会も家族も精神風上も大きな転換点を迎えている。それらが葬式に対する考え方にも大きな変化をもたらしたのである。かつてであれば、葬式に「人並み」であること、「社会的に恥ずかしくない」ことが求められ、宗教的観念においても死者を「あの世へ送る」ことか大切とされた。だが、そうした価値観が音をたてて崩れてきているのである。もちろん、すべてが変わったのではない。従来型の社会儀礼や宗教儀礼を大切にする葬式と、個人儀礼を中心とするものに二分化する傾向にある。

表書きは「寸志」より「松の葉」

相手にものを贈るときの「粗品」と同じように、現金や商品券を贈るときには「寸志」という表書きをよく使います。「ほんのわずかな気持ち」という意味ですが、目下の人が目上の人に対して「寸志」を使うのはとても尊大な気がします。かわりに、「松の葉」を使ってみてはいかがでしょう。「松の葉を包むほどのわずかな志です」という意味です。この表書きは、ほかにも、渡すタイミングを逃してしまった結婚祝いや、上司が部下たちの集いに足す会費など、名目が立ちづらいお金を贈るときにも役立ちます。また、祝儀袋や香典袋、贈り物の箱の上に結ばれているのが水引です。水引の結び方をよく見ると、結び切りと蝶結びがあり、どう使い分けたらよいのかわかりにくいものです。そこで単純に、人生に一度しかない贈り物(結婚、葬式、病気見舞い)のときは結び切り、それ以外(出産祝い、新築祝い、お中元、お歳暮など)は蝶結びにすると覚えておくとわかりやすいでしょう。結び切りは、一度結んだらほどけないというところから、「一生に一度だけ、これっきり」という意味で、蝶結びには、すぐほどけるというところから、「何度あってもよい」という意味で使われるようになっています。

自分が客となって訪問したとき

自分が客となって訪問したとき、エレベーターの案内をされて、いつもとまどうことがあります。それは、案内してくれる人が「これからどこへ連れていくのか」を言わないことです。たとえば、受付の人が案内してくれることや、面会する相手が一階まで降りてきて案内してくれることがあります。そのとき、会社名や氏名、面会目的などといった一通りのあいさつをします。すると、案内する人はほとんどが「どうぞ」と、まずは最初の一言は言ってくれます。ですから、その人のあとをついていけばいいわけです。しかし、それではときには案内人と違う方向に進みそうになったり、ときには体をぶつけたりしながら進むことになります。階段やエレベーターがあると、客としては案内人の様子を見な、から「ああ、階段を上がるのだな」とか「エレベーターにのるのだな」と推察するわけです。ここには、日本人独特の「あうんの呼吸」なるものが要求されます。ときには「いったいどこまで階段を上らされるのだろう」とか「どこへ連れていこうとしているのだろう」という不安も頭をかすめます。また場合によっては、「ツベコベ言わずに、あとをついて来い!」という態度にも思えてしまいます。こうした思いを抱かせないためにも、案内する人は、やはりもう少し言葉をかけることが必要ではないでしょうか。