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エルメスは、お金持ちの究極の普段着ブランド

エルメスは、後ろ姿に品が漂う、お金持ちの究極の普段着ブランド。ティエリーエルメスにより王侯貴族御用達の高級馬具工房として創業。バッグを女優のグレースーケリーが愛用していたため、55年からは「ケリーパッグ」と呼ばれている。統の職人芸に斬新なアイデアをプラスして、初め78年に現社長ジャンールイーデュマエルメスでのファスナー付きバッグ、シルクスクリーンが就任して以降はプレタポルテの分野も充実。スカーフ、鹿革の服のデザインなどを手掛ける。また旅行用品、時計、宝飾品、金銀細工などの分野にも進出。エルメスの名を一般にまで浸透させたケリー秋冬からはマルタンーマルジェラが主任デザイナーを務め、老舗メソンとアヴァンギャルドの旗手との融合として話題となる。99年6月、1億5000フランを投じて、サドルーパッンーポールーゴルチエの株式を35%取得。

ファッション業界は低収益構造の世界

ファッション業界は低収益構造の世界でもある。二〇〇〇年度の大手アパレル上位五〇社のうち、増収増益企業は九社、他はほとんどが減収ないし減益である。まさに低収益の世界である。これでは拡大再生産しようにもできない。当然ながら赤字企業が多数発生している。その数は一〇社とも二〇社ともいわれている。これら企業はいつ倒産してもおかしくない状況が続いている。しかし倒産率が高い割に、後から後から新しい企業が出てくる。雨後の筒にも似ている世界である。まさに看板や社名を変えて再登場してくるのも珍しくなインれだけに常に過剰生産なのである。魚より釣師の多い世界なのだ。それというのも、過小資本で簡単に参入できる社会だからである。六〇年代後半ごろ問屋、メーカーから脱サラした人たちが青山、六本木、原宿などのマンションの一室に事務所を設け、二週間サイタルぐらいの期間で企画し、それをタイミングよく小回りをきかせて専門店の需要に応じてきた。その中から現在のファイブフォックスやフラソドルのような企業が育ってきたという歴史がある。

モードの民主化の流れ

モードの民主化の流れは、さらに加速していった。ピエールーパリソがシテ島で1824年に創業したベルージャルディニェールは、その後の既製服の流れを、決定づける力を有した1855年に開かれたパリ万博では、紳士用既製服部門でグランプリを獲得している。当時の(フィガロ)紙は「銀行家ロスチャイルドの着ているスーツは180フラン(現在の貨幣価値でおよそ18万円)で仕立てた注文服だが、その平店員はベルージャルディニェールで35フラン(およそ3万5000円)の既製服を着ている。しかし、ちょっと目には変わらない」と書いたほどだ。フランスの仕立屋業界誌(ジュルナルーデ・タイユール)の編集に携わっていたコンパンは1828年、仕立技法の定式化を『仕立技術〜衣服裁断における幾何学の応用』という一冊にまとめ、さらに《ジュルナルーデ・タイユール)誌で技術教育を展開した。1830年、バルテル・ティモニェが鎖縫いできるミシンで特許を取得し、そうしたミシンを多く設置して軍服の大量生産を行った。ところが、パリに戻った仕立屋にとってミシンは脅威であり、ティモニェのラボ(工房)は幾度となく襲撃されることとなった。